火炎レコード™️

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創作活動の記録と諸々の備忘録

サブスクこわい

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ここ最近鑑賞する映画の選別基準として「尺が短い作品」であることを第一に考えていた。ベストは80分台。100分を超えると長すぎ、20分とか30分の短編は短すぎる。

第二の基準は「日本語吹き替えがある作品」。この時点で作品は海外のものに限られる。

第三の基準は「創作の参考になりそうな作品」。こればっかりは観てみないとわからないが、自分が作る映画に少しでも似た要素のあるものを選んでいた。こうして毎回恋愛映画とSF映画は排除され、低予算のバイオレンス映画が最有力候補として残るのであった。

いちいち数百円のレンタル料金を払うのも検索に時間をかけるのも嫌なので、探す対象は個人的に最も検索しやすいと考えるU-NEXTの見放題作品だ。

つい先日、いつものように洋画・吹替・見放題で絞り込み、製作年度が古い順に一応並び替え、タイトルの前に真っ先に尺を確認しながらPC画面を睨んでいた。しかしその日は先に書いた基準を満たしつつ今すぐ観たいと思える作品がなかなか見つからず、30分以上もの激闘の末に白旗を掲げた。「もう夜も遅いし『スターシップ・トゥルーパーズ』の良いとこだけ摘んで観るか」などと考えたのも束の間、129分ある本編を字幕で完走していた。

・・・俺は一体何をしているのか?

ある意味、気が狂っていたのだと今では思う。

月額料金の元を取ろうとし、とにかく何か観なければ損なんだと強迫観念のように考えていた。金銭面のみで考えれば、確かにたくさん観れば観るだけ得なんだろう。だが、映画(に限らず全ての娯楽・芸術)は損得で価値が決まるものではない。当然のことだ。

  • 「尺が短い作品」=すぐ終わる。
  • 「日本語吹き替えがある作品」=字幕読むの疲れる。
  • 「創作の参考になりそうな作品」=その方がいいじゃん。

今思えば先述した3つの基準の裏にあるのは上記のような薄汚い思惑だ。何と愚かなことをしていたのか。身勝手な鑑賞基準を設定することで様々な可能性を自ら排除し、純粋に映画を楽しむ姿勢を見失っていた。

とにかく考えを改める。『スターシップ・トゥルーバーズ』は本当に素晴らしい。

スターシップ・トゥルーパーズ [Blu-ray]
 

2020年映画ベスト&ワースト

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2020年映画ベスト
①ブルータル・ジャスティ
②ヒュービーのハロウィーン
③バクラウ 地図から消された村
④透明人間
ランボー ラスト・ブラッド

とにかく今年は①を劇場で鑑賞できて本当に良かった。「好きなものを好きなように撮る」という映画監督としての真っ当な姿勢に感動しっぱなしだった。誰に何と言われようが、どんな目で見られようが、俺が面白いと思う映画を撮るべきなのだ。

2020年映画ワースト
①HITOMA
②TENET テネット

ワーストの吐瀉物2本については特に何もない。

コロナのせいで劇場へ出向く頻度が減り、去年に比べて今年の新作鑑賞本数は半分以下になった。
このパンデミックがいつ終息するのか見当もつかないが2021年もできるだけたくさんの物語に積極的に触れていこうと思う。特に海外ドラマについてはこれまで「長いから」という理由だけで疎遠していたが、よくよく考えると小説は何日間かに分けて読むものもあるのに連続ドラマは見ないというのはおかしな話ではないかと気づいたのだった。
コロナ禍で唯一良かったのはイベントのオンライン配信が増えたことだろう。特に「映画木っ端微塵」には何度も楽しませてもらった。
そして、2020年は一本も映画を作らなかった。脚本は初稿段階のものを一本とシノプシスにもならぬ作劇メモのようなものを数本書いただけ。脚本なしで映画を撮ることはできないということは学生時代に嫌というほど思い知った(それができる人間はマジで凄いと思う)のでとにかく書くしか無い。これがとてつもなく辛い作業ではあるのだが、とにかく何かを書いているか撮っているか編集している状態を習慣化させて量産体制に入るしか無いのだ。現在進行中の企画の中には友人の脚本家に執筆を依頼しているものもある。毎月定期的に脚本会議をして内容を煮詰め、非常に有意義な時間を過ごしている(本当は学生時代にこの体制で創作していくべきだったのだろうが…)。
労働とプライベートの切り替えはしっかりできる環境は整っているので、初期衝動を維持して作り続けていきたいと思う。

『透明人間』(2020)

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リー・ワネル監督の『透明人間』を観て気になったことがある。
Twitterでチラッと検索すると中盤のレストランのシーンについてみんな称賛しているんだが、個人的には演出上とても問題のあるシーンだと思った。生じた疑問は以下3点。

①あれだけの人間がいて、主人公とその妹以外の誰一人として「宙に浮いたナイフ」を目撃しなかったのか?

②真っ先に悲鳴をあげる隣のテーブルの女性は何故あのタイミングで主人公たちの方を向いたのか?

③そもそもあのレストランには防犯カメラは無いのか?

とにかく①は大問題だろう。余りにも都合が良すぎるので、この点についてはどうにか回避すべきだったのではないか。どうしてもレストランであれをやらないといけないなら人が多すぎる。

②については妹が苦しむ声に反応して振り向いたのだろうと好意的に解釈したが、ホラー好きとしてはやはりピピッと飛んで来た液体(血飛沫)に反応して振り向いたとか、そういう気の利いた演出を見せてほしかった。

クライマックスなど、防犯カメラの映像が演出上の肝になる場面が幾つかある映画なので③も気になる。
主人公が妹を殺したという決定的瞬間を目撃した人間がいないのに速攻で病院に軟禁されたりするものなのだろうか。目撃者がいなかったのであればそれこそ防犯カメラの映像を確認するもんだと思うんだが…。
って書いてたら、あの状況ならどう考えても主人公が殺したように見えるよな〜とも思えてきた。決定的瞬間を見ていなくとも「あの人が殺してました、私見ました!」って感じで誰かが証言したんだろう。

主人公が透明スーツを発見するシーンでは、てっきりラストは透明人間vs透明人間という展開になるんだろうと思ったが、それじゃ『インビジブル2』まんまか。
夫の発明に頼らず自らの知恵とガッツで勝利を掴むラストシーンはとてもかっこよかった。

酩酊の中に見たもの

先日、大学時代の友人たちとZoom飲みをした。
画面越しではあるが久々に顔を見て話せる喜びと過剰に摂取したアルコールのせいで、エロ話や近況報告、そしてまたエロ話という風に俺たちの話題は尽きなかった。
幾度かのメンバーチェンジを経て、俺を含めた4人が残った。開始から5時間以上経過し、すでに日付も変わっていたと思う。その時の話題は「作品作り」についてだった。
ある友人が「製作過程に制約を設けないと作品が作れない」と言った。俺はそれに対し「ラース・フォン・トリアーも同じこと言ってたぞ」などと茶化しつつ「制約なんか設けたら自由に作れない」とほざいた気がする(その後の会話は記憶なし)。
別に友人やトリアーの考えを否定する意図はなく、あくまでも俺の考えを述べたまでであり、飲み会から数週間経った今でもこの考えは変わらない。しかし茶化したのはすまんかった。

それから数日後、とある映画祭の作品応募締切日(来年3月末日迄)が発表された際、先述の友人の発言が脳裏をよぎり、「制約を設けた作品作りやってみようかな」と一瞬思った。
その制約とは「来年3月末日迄に作品を完成させなければならない」というもの。
「そんなもん制約じゃない」「映画作りってそういうもんだ」とか言われるかもしれないが、個人で自主制作する以上は作品の完成に〆切を設定する理由など無いと考えている人間の思いつきに過ぎないので悪しからず。
あくまでも映画祭に向けた映画作りではなく、単に製作期間に期限を設定するものなので、その映画祭のニーズに合わせて内容を考えるというようなことは一切しない。とにかく自分で設定した期日までに作品を完成させることのみ。その中で一体どこまで自由を発揮でき、どんな作品が生まれるのか。
こんなことをぼんやりと考えたのだった。

ここに書いた以上、実現に向けた何かしらの動きをするべきなのだろうが、今はただただ、とにかく眠いので、やるかどうかも含め、起きてからどうするか決めようと思う。

スローターハウス・ルールズ

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アタック・ザ・ブロック』と『ショーン・オブ・ザ・デッド』と『ハリー・ポッター』を足して3で割ってぬるま湯で薄めたような感じ。
ゴア描写に結構気合が入っているだけに、時折思い出したかのように胸チラ程度の小エロ描写が挟み込まれるのがとても中途半端に思える。
サイモン・ペッグニック・フロストというあからさまなキャスティングからも露骨に漂う「エドガー・ライト感」は御立派だが、いかんせんセンスが追いついて無いが為にこういった残念な作品が出来上がる世界の残酷さに胸を打たれた。

スローターハウス・ルールズ​ (吹替版)

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ハリー・ポッターと賢者の石 (吹替版)

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