火炎レコード™️

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諸々の備忘録

ヤクザと家族

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藤井道人監督の作品を観るのは本作が初めてだ。
『オー!ファーザー』や『新聞記者』等の存在も、U-NEXTで短編集が配信されていることも知っているが、観たことはない。
何から何まで未見の状態で勝手に決めつけているのが小っ恥ずかしいが、おそらく過去作か何かの予告を見て、一眼レフで撮ったような画質でレンズフレア入りまくりの手持ちゆらゆら映像(もちろん背景はピンボケ)が多用される雰囲気だけの映画という印象があるので観る気になれなかった。
そういった状態でありながら本作を鑑賞したのは、『博奕打ち 総長賭博』『博奕打ち いのち札』を教えてくれた任侠映画に詳しい友人の勧めと、『日本で一番悪い奴ら』の名優・綾野剛の主演作であるからだ。

本作もどうせ手持ちキラキラ映像の羅列だろうと観る前から勝手に想像していたが、そんなことはなかった。
確かに手持ち撮影による揺れた映像は多いが、過去の(特に東映の)ヤクザ映画のカメラは手持ちで画面が揺れているレベルの騒ぎではない。登場人物と共にのたうち回る暴力的なカメラワークに比べれば、本作の手持ちはフィックスである。
そして、過去作の予告を見る限り監督の作風なんだろうと思われる柔軟剤のCMのような質感の映像が終始続くのだが、そんなヤクザ映画はこれまで観たことがない(というか存在しない?)ので新鮮だった。

冒頭から驚いた。

クレーンショットで映し出される海岸沿いの道路。
若者の乗った原付が道路の奥からこちらに向かって走って来る。
原付は葬儀場の敷地内で停まり、クレーンショットは地上へ降りる。
若者は原付から降り、建物の中へと入っていく。
その背中を追うカメラ。
式は始まっており坊主がお経を唱えている。
若者は最前列のパイプ椅子に座る。
カメラは若者の前へ回り込み、顔を映す。

若者=綾野剛の顔が画面に映るまでをワンカットで捉えている。
常にカメラワークに注目して映像作品を観ている俺のような人間にとって、この掴みはバッチリだ。
この他、綾野剛がワンカットで車に轢かれたり、綾野剛が乗った車がワンカットで襲撃されて事故ったり、ワンカットフェチには堪らないシーンが多々ある。
ワンカットでは無いが、登場人物がヘルメットを着用せずに原付を蛇行させたり、走行する車の中から進行方向を映すことで登場人物が実際に運転しているように見えるシーンがある。当然、何かしら「そう見える工夫」をした上で安全な撮影を遂行しているのだろう。些細なことではあるが、こうした描写があることにより「これは作り物だ」という感覚が薄らぎ、無意識に物語への没入度を高めてくれる。

撮影も役者の演技も良いだけに、とても残念なところがあった。
尾野真千子綾野剛に対し「あんたが来るまでは全部順調だった!」と泣きながらキレるシーンだ。
「あんたのせいで全部めちゃくちゃだ!」と絶叫する尾野真千子は前屈みになって倒れ、歩み寄る綾野剛を拒絶し、その体制のまま土下座に切り替わり「お願いです、出て行って下さい」と懇願する。
この迫力が凄まじいのだが、本作ではカットが割られ綾野剛のリアクションを映してしまう。何故この場面をワンカットにしないのか。この場面でこそ、これまでの手持ちではなく、カメラを三脚に固定して二人の全身を引きで捉えるべきだと思った。何故三脚に固定しなければならないかと言うと、この場面は二人が生活していた部屋=密室が舞台となっている為、手持ちカメラでは二人以外の第三者が室内にいるのが前提の映像となってしまうからだ。第三者の存在を排除した固定された長回し映像こそ、一対一で感情を爆発させる状況に効果的であると思う。他のワンカット場面が良かっただけに、ものすごく引っかかった。

あと舘ひろしはガンで危篤状態には到底見えない。「痩せこけて有り余ったブヨブヨの皮膚で歪む和彫り」とかそういう描写が見たかった。単に舘ひろしがベッドに寝て演技をしているようにしか見えなかったので残念。

『ヤクザと家族』というタイトルと、映画後半の半グレの出現から以下2本のドキュメンタリーを想起した。
ヤクザと憲法
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NHKスペシャル 半グレ 反社会勢力の実像
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いずれも舞台は俺が住んでいる大阪なので泣けてくる。